猥褻とは見る側の意識の問題

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日本ではAVが量産されているが、その大部分は男性視点の妄想を安易に映像化したもの。おせじにも映像作品としてクオリティが高いわけではない。
性的欲求を満たすためのAVに、クオリティは必要ないって?

それはどうだろう?

君は食欲を満たすために、不味い飯でも我慢して食べるのだろうか?
食えるならドッグフードでもかまわないと?

そうじゃないと思う。
美味しい料理であれば、食欲はおおいに満たされ、満足感も高くなる。
性欲だって同じなんだよ。

男性視点のポルノに疑問を感じて、女性監督が制作するポルノ映画が話題になっているという。

「ポルノ映画なのに感動する」と海外で大人気。女性監督エリカ・ラストの魅力 | 日刊SPA!

 昨年の12月、スェーデン出身でバルセロナを拠点に活動する、女性ポルノ映画監督エリカ・ラスト氏が初来日した。彼女が手がける作品は現在、欧米で人気が急上昇中。その内容は単なる性欲解消のための映像ではなく、作品としてエロティックさを楽しみながら見られる作品――オルタナティブ・ポルノとして、欧米のポルノ映画祭で数々の賞を獲得している。

(中略)

日本のAVのモザイクは海外では特殊な事例

そんななか、ラスト氏は日本のポルノ作品における性器のモザイク処理について強く疑問を抱き、その不自然さをこう表現する。

「セックスはタブー視されるものでもなんでもなく、性的欲望は当たり前のこと。その中で、多様の性のあり方がポルノの中で表現されるべきなのです」

エリカ・ラスト氏の作品は、自らのサイトで公開されている。

Lust Cinema – Adult Cinema On Demand

ちょっと見てみたのだが、アクセスが多いのか、度々動画がフリーズする。サーバーの補強が必要だろうね。今後もアクセスが増えれば、ますます見づらくなる。

感動するかどうかは人それぞれだが、印象としてはポルノというよりは「セックスのある日常」という感じ。
男と女、女と女、男と男と、セックスの形もいろいろ。そのへんは昨今のLGBTを反映している。
日本のAVと根本的に違うのは、セックスを誇張したり特別視したりしていないことと、ドラマとして成立しているところだ。
ありのままのセックスを描いているようだ。

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日本でいうところの「猥褻」は、それを見る側の意識の問題なんだ。
「猥褻」のレッテルを貼る人間が、嫌らしい目でセックスを見ている。
裸は裸だし、性器は性器だし、セックスはセックスでしかない。
それが芸術的かどうかは関係なく、人間であることに変わりはない。

よく知られた彫刻のダビデ像は、裸でペニスも露出している。彫刻だから芸術だとされているが、同じポーズを生身の人間ですると「猥褻」認定されてしまう。
なんともバカバカしい話。
女性のヌードにしても同様。

モザイクをかけるAVは、誰に見せたくないのか?……というと、答えとしては未成年だったりする。
しかし、実際にAVを見るのは成人した大人が大半であり、大人にも見せないのは、大人を大人扱いしていないことでもある。こうした「性」を封印することが、性についての無知を生み出し、ひいてはセックスレスや少子化にもつながっているように思う。

セックスが猥褻だとされたら、セックスに対して罪悪感を持つことになる。
そして、セックスによって生まれる子供も猥褻の結果ということになってしまう。

性に対するタブーは、明治以降の近代になって顕著になったものだ。
江戸時代は「春画」としておおらかに性を表現していたし、結婚制度が曖昧だったこともあって、夜這い(現在でいうところの浮気や不倫)なども密かにではあるが珍しいことではなかった。長屋で子供が産まれると、父親が誰かわからないといったこともあったという。

また、吉原のような売春も容認されていた。ただし、吉原に売られる少女がいたりもしたが、そうした悲劇は別の話。
権力者は、側室として複数の妻をめとっていたし、一夫多妻は一種のステータスにもなっていた。複数の妻を養えるのは、財力と地位があることの証だからだ。

皮肉にも、日本の猥褻思考は、西洋の文化が入ってきたことで生じた。
厳格なキリスト教では、性的なものはタブー視されていた。「欲望」そのものを罪悪と考えていたからだ。
カトリック教会における「七つの大罪(七つの罪源)」の1つが、色欲(肉欲)であり、性器および女性の裸体が肉欲の対象になった。その流れが、日本にも入ってきて、性的なものを忌避するようになり、猥褻とされるようになったと思われる。

三大宗教といわれる、キリスト教、イスラム教、仏教は、いずれも男性視点の宗教だ。当時の社会は、現在よりも男性中心社会であり女性は低い身分だった。聖書の中には性的な表現もあるのだが、そこに登場する女性は卑しいものとして扱われている。女性の権利などなかった時代なのだ。
聖母マリアが崇められるようになったのは、後世のことであって、もともとはイエスを産んだ母という扱いでしかない。

欧米で、女性の権利と地位の向上が進み、性的に抑圧されていた女性も解放される時代になった。
ポルノについても、男性視点の男性のためのポルノではなく、女性視点の女性も楽しめるポルノが出てきた。
性、セックスは、特別なことではなく、当たり前のこと、愛しあうことは自然なこと、セックスは美しく素晴らしいこと……、そう主張したり表現したりできるようになった。

欧米では、性表現に対する規制よりも、暴力表現に対する規制の方が厳しい。
じゃ、暴力シーンにモザイクをかけるかというと、そんなことはしない。レーティングで、何歳以下は見てはいけないと注意を呼びかけるだけ。表現そのものに介入はしない。それが表現の自由でもある。

日本のように、性器が出ているかどうか、行為が猥褻かどうかを問題にしているのは、滑稽でもある。
その判断は、主観でしかないからだ。

グローバリズムが重視される傾向にあるが、性に関することもそれに習う時代に来ているように思う。
美しい裸体やセックスの素晴らしさを表現する映像作品は、鑑賞するに値する。
そもそもセックスとは、美しく、素晴らしいものなんだ。それは人間の本質でもある。

日本のAVに出てくる女優は、綺麗な娘が多い。その裸体は美しい。
残念なのは、その美しさを十二分に生かす映像作品になっていないのが多いことだ。

ポルノの新しい時代が、日本にも訪れることを願う。