セックスをマンネリ化させないためには…

『体と心のセックス・ライフ』2017年2月分(Section-653〜656)

投稿日: カテゴリー: 体と心のセックス・ライフ, エッセイ
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Section-653『セックスと愛の関係を考える(1)』

今回は、いつもと趣向を変えて、セックス講座の番外編的な内容。

テーマは「セックスと愛の関係」

折に触れて書いていることではあるが、もうちょっと掘り下げてみる。

■『愛』の本質とは

いきなり大きな問いから始めるが、『愛』とはなんだろうか?
あるいは、『愛』とは、何だと思っているだろうか?

恋人同士や夫婦同士は、「愛しあっている」ことが前提で、パートナーとして互いを認知する。
そのため、パートナー以外の相手とセックスすることは、浮気や不倫として悪いことだとされてしまう。

だが、ここでいう「愛」には、「愛」以外の要素が絡んでいて、「愛」の本質とは別の問題によって「愛」が歪められている。
男女関係では、「愛」という名のもとに「独占欲(所有欲)」や「支配欲」が絡みついている。
「彼女はオレもの」、あるいは「彼はわたしのもの」という独占欲や支配欲が「愛」と結びついているために、「嫉妬」や「不信感」の感情を生じさせる。

本来、「愛」と「独占欲(所有欲)」や「支配欲」は別物なのだ。
しかし、多くの場合、この3つの要素が、密接に結びつき、ときに混同されて「愛」を変質させてしまう。

「愛」は、男女の1対1だけではなく、親子の愛、趣味に対する愛、芸能界のアイドルに対する愛、スポーツにおけるチームに対する愛、故郷に対する愛、国に対する愛、地球や自然に対する愛……など、対象によって幅のあるものだ。
それぞれで「愛」の意味合いは異なるものの、ひとつだけ共通していることがある。
それは……

愛する対象に対して、自らの情熱を注ぐ。

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……ということだ。
つまり、愛は受動するものではなく、能動するものだということ。「好き」という思いを注ぐことなんだ。

ところが、男女関係においては、「愛」は「束縛」をともなってしまう。それが「独占欲」や「支配欲」だ。
たとえば……
「オレの彼女だから、ほかの男とは接触させない」
「わたしの彼だから、ほかの女には取られたくない」
……というのが「愛」だと勘違いしてしまう。
愛しているから嫉妬するのではなく、自分のものという「独占欲(所有欲)」から奪われたくないと嫉妬するんだ。

『無償の愛』という表現があったりもするが、じつのところ無償の愛はほぼ成立しない。

「愛」は一方通行ではなく、愛する対象から有形または無形の「愛」が返ってくるから愛することができる。
母親が赤ちゃんに注ぐ愛は、赤ちゃんの笑顔が愛の返礼だったりする。愛は双方向で行き交うことで、愛として成立する。
男女の場合は、「愛してるよ」との言葉であったり、プレゼントであったり、セックスであったりする。なにがしかのリターンがあるから、愛は成立する。そのリターンがなくなったら、愛は冷めていく。

愛を炎にたとえるなら、燃えるための燃料は常に絶やさないことが必要であり、燃料がなくなれば炎は消えてしまう。

男女の「愛」では、「セックス=愛の証」という図式が話をややこしくしている。
言い方を変えると、1対1でパートナー以外とセックスしないことが、「愛」だと思い込んでいるのだ。
その価値観が元となって、浮気や不倫がいけないことと認識される。

そもそも一夫一婦制の価値観や制度は、便宜的に決められた社会的・法律的な決めごとでしかない。人間の本質、もっといえば生物的な本質とはかけ離れた自縛だといえる。
」は、社会的に認知してもらうための「契約」だ。
「オレと彼女はセックスする関係です」と公言しているわけだ。
もっといえば、彼女(彼)とは結婚しているから、ほかの人は手出しするな、という所有権の宣言でもある。
社会的な秩序を維持するために必要なルールではあるが、ときにそれが不自由な状況を生み出してしまう。

芸能人が不倫すると過激に叩かれてしまうが、一夫一婦制を原則とした結婚制度の弊害でもある。
男女関係は、そうそう単純ではなく、愛は不変なものでもない。
人間は高度な知性を身につけたが、だからといって生物としての本能から切り離されているわけではない。むしろ、原初の本能、欲求で行動し思考している。

「愛」の概念は知性から生まれたものだが…..

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Section-654『セックスと愛の関係を考える(2)』

前回の「愛」に続いて、「結婚」について考えてみよう。

「結婚」の前に「」もあったりするわけだが、恋愛の末に結婚することはあっても、=結婚ではない。
本来、恋愛と結婚は、まったく別物。

前回も書いたが、結婚とは「契約」なんだ。
契約というと、なにやらビジネスみたいだが、「契りを交わす」というのが契約の意味。
妻となり、夫となり、生活を共にする……という約束事だ。
キリスト教の結婚式では、夫婦となる男女が、互いに誓約を誓う。

××××、あなたは
○○○○が
病めるときも、健やかなるときも
愛を持って、生涯、支えあう事を誓いますか?

という、あれだ。
これは神様の前で契約を交わしているわけだが、そのわりには離婚が多いのが欧米ではある。神様の前で誓ったことを、さっさと反故にしているという、なんとも無責任な契約だ(^_^)

日本では、結婚を「ゴール」と考える風潮がある。
そのゴールとしての結婚式だったりする。
結婚式はセレモニーではあるが、ゴールではなくスタートであるはずだ。
苦楽をともにする夫婦生活の始まりだ。

ところが、結婚してしばらくすると、夫婦間に亀裂が入ることが珍しくない。
一緒に生活するようになると、別々に暮らしていた恋人時代とは違う相手の顔が見えてきて、幻滅してしまうことが一因。

男にありがちなのは、夫婦になると妻に対する態度が一変してしまうこと。
恋人時代はやさしかったのに、夫婦になると横暴になったりする。その心理の背景には、彼女を「所有」したという感覚がある。自分の支配下に置いたことで、思い通りにできると勘違いしてしまうのだ。

たとえるなら、
「釣った魚に餌はやらない」
と、表現される。

現状の法制度では、結婚するとどちらかの姓に変わることを余儀なくされる。多くの場合、男の姓に女性の姓が変わる。それは男の支配下になることを象徴している。
オレは夫婦別姓に賛成なのだが、日本の社会はまだまだ別姓を受け入れられないでいる。制度上でも、女性は抑圧されているといえる。

「お金がないから結婚できない」
といったこともいわれる。
しかし、これは間違い。
金がかかるのは結婚式をするからで、婚姻届を出すのに金はかからない。書類を一枚、役所に提出するだけで、結婚は成立する。

オレと春海がそうだった。
春海とは5年ほど同棲していたが、互いに形式的な結婚をする必要性は感じていなかった。
すでに一緒に生活してたから、事実婚ではあったからだ。
なぜ婚姻届を出したかといえば、世間的な体裁のためだった。
昔のことだから、同棲に対してあまり好意的には見られなかった。変な誤解や偏見はトラブルの元だから、婚姻届を出した。それで周囲は納得した。
結婚とはそういうものでもある。

オレが春海と結婚することになったのは、彼女が一番気があったからだった。それと巨乳だったことも要因だ(^_^)。
その当時、オレが住んでいたマンションに出入りしていた女性は、春海を含めて5人いた。オレは女友達の方が多くて、彼女たち同士も友達で、みんなで集まることもあった。彼女たちとは友達以上恋人未満の関係で、エッチすることもあった。
彼女たちのことは好きだったし、好きということはエッチしたいということでもあって、誘われたら断る理由はなかった。
彼女たちは、嫁さん候補でもあったが、結果的に春海になった。

オレは20代の頃から…..

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Section-655『セックスと愛の関係を考える(3)』

前回は「結婚」について書いたが、今回は「結婚後」のあれこれ。

結婚はスタートだと前回書いたが、結婚後には様々な問題が待ち構えている。
結婚前の交際期間よりも、結婚後のつきあいの方が必然的に長くなる。
数ヶ月で離婚してしまうカップルもいるが、数年〜十数年と生活を共にするようになると、男女ですれ違いが多くなったりもする。

その典型的なことが、セックスの不一致だろう。

結婚前はあまり気にならなかった相手とのセックスに、だんだんと違和感を感じるようになると、セックスが苦痛になったり、セックスをしなくなったりする。

つまり、セックスレスの問題だ。

多くの夫婦が、大なり小なりこの問題にぶつかる。
結婚して早々に子供ができたりすると、この問題にも早期にぶつかることになる。
妻が子育てに忙殺されるようになると、夫婦の性生活は二の次になる。
これは致し方ない面もある。
赤ちゃんには24時間、休みなしに世話が必要であり、妻がその大部分を担っていると、夫のセックスどころではなくなる。

夫が子煩悩の場合は、子育てを分担することも可能ではあるが、そうすると夫の方が妻とのセックスを二の次にしてしまう傾向にあるようだ。

オレの友人関係を見ていても、子供ができた夫婦は、早い段階でセックスレスになっているようだ。
2人目、3人目と出産するカップルは希で、ひとりの子供で手一杯という感じだ。複数の子供は、経済的な問題もあって、なかなか難しいのが世情だからだ。

子育てに忙しいからと、性欲がなくなるわけでもない。
年齢的に30代〜40代になると、男の性欲は減退傾向になっていくが、女性は逆で、性欲は高まっていく。
個人差のあることなので、その程度は人それぞれではあるが、傾向としては女性の方が性的な欲求不満を抱えやすい状況になる場合が少なくない。

その端的な例が、セックス教室に悩み相談をしてきた女性たちだ。
絵理のような20代の女性は例外的で、大部分は30代〜40代だ。
彼女たちは、既婚者か彼氏はいるけれどもセックスで満たされていない女性たちだった。

彼女たちは、セックスに飢えていた。
厳密にいうと、それまでに経験したセックスが物足りなくて、もっと激しいセックス、オーガズムにイクことのできるセックスを渇望していた。
つまり、現実と理想のキャップに悩んでいたんだ。

彼女たちがしていたセックスというのは、いわゆる「5分セックス」だ。
彼が射精したら終わりのセックス。
女性は5分でオーガズムに達するはずもなく、未熟なセックスしか知らないから、イクという感覚も知らずにいた。
真偽はわからないまでも、その手の情報はネット上にあふれている。まぁ、怪しい情報も多いのだが、イメージとしてはなんとなく想像できる。
だが、自分がしているセックスでは、そこまでいくことはない。そのギャップというか違和感が、欲求不満の一因にもなっているのだろう。

そんな悶々とした気持ちで、あるとき、オレのメルマガと出会い、オレが綴ってきたセックスエピソードを読んで、「こんなセックスがしたい」と強く望むようになった。

セックス教室の彼女たちは、当初は半信半疑だったはずだ。
「ほんとに、そんなセックスができるの?」と。
オレはありのままを書いてきたのだが、それを読む読者にはどこまで本当なのか確かめようがない。
オレがするようなセックスができる男は、AV男優を除けば、希少だと思う。並のセックスをしていれば、そこまでセックスをする必然性がないからだ。

そして、オレとセックスをした彼女たちは知る。
オレが、メルマガに書いているとおりのセックスをしていると。
彼女たちは目覚める。
こんなセックスがあるんだと。

それは夫や彼氏が相手では…..

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Section-656『セックスと愛の関係を考える(4)』

セックスをマンネリ化させないためには…
セックスをマンネリ化させないためには…

今回は、セックスのマンネリ化について書こう。

おそらく、この問題は、誰もが一度は経験することだろう。
恋をして、あるいは結婚して、セックスする相手と巡り会うと、最初のうちは互いに新鮮で、どんな形であれセックスするだけで興奮し、ある程度の満足感を得られる。

体位がいつもも同じで、短い時間のセックスであっても、情熱があればセックスの未熟さをカバーできる。
だが、情熱は「熱」でもあるから、徐々に冷めていく。
情熱は熱い温度を保つために、常に熱源を必要とする。
ヤカンにたとえるなら、コンロの火を絶やさず、ヤカンの中の水が蒸発してしまわないように、定期的に水を補充する。そうすることで、常に熱い湯が維持される。
情熱とは、そういうものだ。

なんの補充もなしに情熱が熱を持ち続けられる期間は、数ヶ月。長くても1年くらいだろう。
熱しやすい人は冷めるのも早い。熱々カップルほど、冷めるのも早いというのは、芸能人の熱愛スキャンダルを見ていればよくわかる。
人の気持ちは、変わりやすいのだ。

情熱の温度が多少の高低はあっても、高いレベルを保つためには、熱源を補充することだ。
ここでいう熱源とは、情熱の元となる要素だ。
それは「愛」という気持ちであったり、セックスで新しい試みをする工夫だったりする。

セックスがマンネリ化するというのは、セックスに変化がなく、頻度が少なくなり、ワンパターンになってしまうことが大きな原因だ。

よくいわれるセックスを拒否する理由が……
「疲れていてセックスする気になれない」
……ということ。

だが、相手と出会った当初、情熱が熱かった頃に、そんな理由でセックスを拒否したりしただろうか?
否。
なにがなんでもセックスしたいと思っていたはずなのだ。
いつでもセックスできるような状況になると、セックスに対する渇望感が失われる。目の前にごちそうが常にあると、焦って食べようとはしない。それと同じことで、いつでもセックスできると勘違いするようになると、セックスへの欲求が二の次になる。
それがマンネリ化の始まりとなる。

基本は、初心を忘れるな。
だが、これが難しい。
慣れと惰性が、初心を忘れさせる。
結婚し生活を共にし、セックスを当たり前にするようになると、だんだんとセックスが特別なものではなくなっていく。
初心のときの新鮮さが薄れ、渇望感が失われる。

しかし、「当たり前」と考えるのは勘違いなんだ。
セックスは義務ではないし、双方が望まなければ成立しない。
それは何年経っても変わらない。
相手がいてこそのセックスなのであり、結婚はそれを保証しているわけでもない。

オレはいつも危機感を持っている。
その日、そのとき、彼女とセックスできることに感謝し、悦びを感じている。一緒に生活をしているからと、セックスするのが当たり前とは思っていない。互いに求めあうこと、互いに相手に尽くすこと、互いが満足するために努力を怠らないこと。
毎日セックスするときは、いつも真剣だし、全力でセックスする。
今日が最後かもしれない……という緊張感は、いつも持っている。大げさに聞こえるかもしれないが、それは起こりうることなんだ。

オレの死生観でもあるが、人間、いつ死ぬかわからない。
ガンになると、余命宣告をされたりするが、それは猶予の時間がわかっているから心の準備はできる。
だが、ある日突然、事故に遭って死ぬことだってある。交通事故や災害などで、毎日誰かがそういう目に遭っている。その災難が自分には訪れないと思うのは間違いだろう。今日、事故で死ぬ人は、自分にそんな日が来るなんて想像してなかったはずだ。
生きていくのは、運でもある。
だから、1日1日を大切にする。
今日のセックスは、今日だけの特別なセックスだと思うようにしている。そういう意識でセックスしていれば、1日たりとも無駄にはできない。

昔話を…..

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