オーガズムの謎

性科学の今昔

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オーガズムの謎
オーガズムの謎

性科学は謎だらけ

性やセックスについての記事は、とかく色眼鏡で見られがちだ。
人間にとって重要なことなのに、性的タブーや偏見からまっとうな議論や研究が難しくなっている。
迷信や根拠の乏しい“常識”がまかりとおり、性的な差別や抑圧的な価値観の押しつけがあったりする。
たびたび書いていることだが、性やセックスはもっと自由であるべきなんだ。

性を科学的に研究するには、世間の“性の壁”と戦う困難がつきまとい、容易ではない。
だが、勇気ある科学者が徐々に性科学を進めつつある……という記事。

性科学は1886年に誕生したが、今でもセックスは謎だらけ | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

<人間の性欲を研究対象に選んだボストン大学の認知神経科学者2人。セックスの研究は約130年も前に始まったのに、いまだに謎が多いままだ。2人の用いた新たな手段はインターネットとデータマイニングだった>

認知神経科学の研究者がポルノの研究をするのは珍しい。だがボストン大学のオギ・オーガスとサイ・ガダムはまさにそれをやってのけ、1冊の本を世に送り出 した。2人の抱いた疑問は、「性的欲望と欲情を生み出す脳のソフトウエアは、どんなしくみになっているのか」というものだった。

(中略)

電磁エネルギーの起源は判明しているが、性的欲望の起源については、学者たちのあいだでも諸説があり、いまだに謎となっている。さまざまな性嗜好のどれが 正常で、どれが異常、病的なのかもコンセンサスがとれていない。女性のオルガスムにはどんな意味があるのか、セックスのやり過ぎは問題なのか、性的な夢想 は無害なのか危険を伴うのか、といった問題でさえ意見が一致していない。

(中略)

ところが1940年、突如として、キンゼイの興味が昆虫から「性教育」に移った。彼は、迷信だらけで道徳ばかりが強調される 1930年代の性教育に嫌気がさしたのだ。性行動の実態に関する科学的データがひとつもないことにも不満だった。そこで彼は、自分でデータを集めることに した。

キンゼイと数人の助手たちは大勢の人に面接して、性嗜好に関する問いに答えてもらった。問いには、SMプレイ、獣姦、絹のス トッキングなどへの嗜好を問うものもあり、質問項目の総数は521にのぼった。この調査の結果は、今の感覚で考えても衝撃的だ。当時は、ホモセクシュアル はめったにないものと考えられていたが、調査では、男性回答者の3人に1人が男性同士のセックスの経験があると答えた。女性は衝動的に性欲に駆られること はめったにないと考えられていたが、女性回答者の半数以上がマスターベーションをしていると答えた。結婚前のセックス、結婚相手以外の人とのセックス、 オーラルセックスについても、当時の人々が考えていたよりはるかに多いことが判明した。

(中略)

性的欲望の実態はどうなっているのだろうか? 科学者はこの問いに答えることはできていない。大勢の男女の自然な性行動を観察する方法がなかったからだ。

でも今は違う。

人間の性やセックスを科学的に研究して解明するのが難しいのは、対象が自分たち自身だからだ。
対象が他の動物や生物であれば、客観的かつ遠慮なく観察や実験ができる。医学的な研究では、対象生物に電極を埋め込んだり解剖したりして、脳の中でどのような反応か起こり、なにが作用しているかを探るが、人間でそれをやるわけにもいかない。
ことに、性やセックスに関しては、人間は他の動物と異なるため、動物実験では解明できないことが多い。

人間のセックスについては、人間自身を研究しなくてはならない。
たとえば、セックスの最中に、体の中でどのような変化が起こり、脳ではどのような反応が起きているのか?

それを知るには、被験者となる男女の体に様々なセンサーを付け、実際に研究者たちの前でセックスをしてもらい、経過を観察し、愛液や血液を採取したり、MRIで体内をスキャンしたり、膣内をファイバースコープで撮影したり……等々、科学的なデータを多くの被験者から取る必要がある。
それがいかに難しいかは想像できる。

そうした科学的なデータを取りにくいことから、セックスに関する科学的な知見は乏しいことになっている。
女性のオーガズムは、人間の女性にだけ見られることで、他の動物では起こらない。動物にとっても交尾は、子孫を残すため行為であり、メスがオスの精子を受け取ることが目的だ。一部の猿の中には、妊娠のための交尾ではなく、オスへの褒美としての交尾をするものがいるが、人間のセックスはそれをさらに発展させたものになっている。

人間のセックスは、セックスそのものを目的として特化しているといえる。

人類の進化の過程で、脳が大きくなり高度な知性を獲得したのは、二足歩行をするようになったからとか、道具を使うようになったからとか、コミュニケーションのための言語を発達させたからとか諸説あるのだが、オレの個人的な説として、より複雑で高度なセックスをするためだったのではと思っている。

セックスは脳でするともいわれるように、セックスの快感やオーガズムは、高度な脳があればこそなんだ。
そのことを反映して、高学歴で知能の高い人ほど、性欲も旺盛という調査報告もある。

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逆説的にいえば、セックスレスになってしまうことは、脳の劣化の現れともいえる。脳がセックスの快感を求めるのは、脳が若く、活性化していることでもあるからだ。衰えた脳は、認知症がそうであるように、刺激に対して鈍感になっていく。

ネットは性的欲望の実験場

記事の続編が以下。

性的欲望をかきたてるものは人によってこんなに違う | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

性的欲望を生み出す脳のソフトウエアはどんなしくみになっているのか? そんな疑問を抱いたボストン大学の認知神経科学者、オギ・オーガスとサイ・ガダムは、インターネットを情報源に使って「世界最大の実験」を行い、1冊の本を世に送り出した。

(中略)

目で見るポルノは、ほとんどが男性を対象としている。しかし、インターネットを使って、安心して官能的な楽しみを得ている女性も急速に増えている。洋の東西を問わず、多くの国々で、性に関係したオンライン活動がごく当たり前のものになり、男性も女性も、ほとんどの人が性的目的でインターネットを使っている。

(中略)

そもそも人は、どうして性嗜好を抱くようになるのだろうか? 「最高のロマンス小説」や「無料のゲイ動画」を好きになるきっかけは何だろう?

ひとつの可能性として、性的欲望をつかさどる脳が、社会の影響を受けていると考えることもできる。もしかすると、人間の脳は、親や友人、メディアといった社会環境からさまざまな情報を取り込んで、その情報を見本にして、性的欲望を生み出すようにできているのかもしれない。この「社会による刷り込み」説を確かめる方法はあるだろうか?

続編記事では、ネットと性的欲望について触れられている。
オレのサイトも、そうしたサイトのひとつだが、ここに来ている人は人並み以上にセックスに興味のある人だと思う。
それは自然なことだし、健全ですらある。
多少でも役に立つことがあれば幸いだ。

ポルノが害だとする人たちの論法は、ポルノを見ていると性的に歪んだ人間になるとか、性犯罪者が増えるとかいった、根拠の乏しい因果関係を持ち出す。

ある性犯罪者が、ポルノビデオを大量に持っていたりすると、それみたことか……と、ポルノ有害説を繰り広げる。しかし、冷静に考えれば自明のことなのだが、ポルノを見ている人数は全人口の1%としても数百万人単位になる。その数百万人がすべて性犯罪者になるわけではなく、数百万人中の数%くらいだろう。性犯罪認知件数は、人口1万人あたり 全国平均0.65件(2014年)となっている。ポルノとの直接的な因果関係を証明するには、極めて少ない数字だ。

性的な刺激から遠ざけることが、「健全な環境」というのもおかしな話だ。
子供にエッチなものを見せたくないという、親の気持ちはわからないでもないのだが、それは親の方が恥ずかしいからだろう。
セックスしている様子を子供が見て、
「なにしてるの?」
と、問われて答えに困るからだ。
「これはね、セックスといって、男と女が愛しあう姿なの。セックスをすることで、あなたも生まれてきたのよ」
こう答えられる母親が、どれだけいるだろうか?

オレが思春期の頃は、エッチに関する情報は雑誌やテレビしかなかった。大人の雑誌にはヌード写真が載っていたりしたが、ヘアーは出せない時代だし、テレビではセックスシーンはなし、キスシーンすらボカしていた。エッチの情報は極めて限られていて、知りたいこと、性欲を満たす情報というのは乏しかった。

そんな中で、刺激的だったのはエロマンガだった。性器を露骨に描いているわけではなかったが、セックスやフェラの行為をわりと具体的に表現しているものがあり、想像力を掻き立てられたものだ。

ネット時代になって、ポルノやエロ、裸やセックスシーンは、ありふれたものになっている。ありふれているから特別なものではなくなった一面もある。
オレが高校生の頃は、エロマンガのエロシーンで勃起して、オナニーの肴にしたものだ。最近は裸の画像なんて、いくらでもあるから、それでいちいち性的に興奮する若者は少ないのかもしれない。

男性の草食化、女性の肉食化、などといわれたりするが、その考え方は古い価値観に根ざしている。男性は性欲旺盛で、女性は性的なことを表に出さないのが女性らしい……という価値観だ。

バカバカしい価値観なのだが、現在はその価値観が崩れ、女性でも性欲を主張できるようになり、男性は男だからと性にガツガツしなくてよくなった。
そういう意味では、男と女の性欲がフラットになり、男女同等になってきた。

ポルノの浸透は、性の男女同等化に、少なからず貢献しているのではないか?……と思う。

男と女の脳の違い

連載記事の3回目は、男と女は育つ環境に左右されるか?……という疑問について。

「男と女のどちらを好きになるか」は育つ環境で決まる? | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

 1965年、カナダのマニトバ州で、生後2週間の男児デイヴィッド・ライマーに包茎切除手術を施しているとき、担当した泌尿器科医が誤って、電気焼灼針でデイヴィッドのペニス全体を焼き落としてしまった(北米では当時、宗教上の理由ではなく、衛生上の理由から割礼を行うのが一般的だった)。このゾッとするような悲劇に直面したライマー夫妻は、当時、性科学者としてもっとも高名だった、ジョンズ・ホプキンス大学のジョン・マネー博士に相談を持ちかけた。マネー博士は、性欲は、完全に社会環境からの刷り込みによって生まれると信じていた。彼はこう言って、ライマー夫妻を安心させた。「何も心配はいりませんよ。奥さんが女の子を産んだ場合につけるはずだった名前を思い出してください。デイヴィッドに女性器をつける手術をしましょう。男性器を失った息子さんを娘として育てればいいんですよ」

(中略)

男に戻った10年後に、彼はこう語ったという。「あれは洗脳のようなものでした。ああいう人たちに心理戦で頭脳を攻撃されたら、体への攻撃よりもはるかに大きなダメージになるんです」

失敗に終わったマネー博士の実験は、世界で最初のものであったが、残念ながら、最後のものにはならなかった。実験は成功したと いうマネー博士の楽観的な報告に触発されて、男の遺伝子を持ちながら、何らかの男性器官の欠損を抱えた何千人もの乳児が、女の子として育てられたのだ。 2004年にある泌尿器科医が、男の遺伝子を持ちながら、新生児の段階で性転換をした14人のその後について報告している。それによれば、14人中、7人 は男性としての暮らしに切り替え、6人は女性のまま暮らし、1人は自分の性別を語るのを拒んだという。

(中略)

このふたつの「自然の実験」は、僕たちに何を教えているだろうか? どちらの実験も同じ結論を示している。人が男と女のどちらに性欲を抱くかは、何か本能的なものによって決まる、ということだ。

例として挙げられている、デイヴィッド・ライマーが負わされた実験は、残酷な話だ。50年前の話ではあるが、医療技術は進歩しているものの、性科学についてはあまり進歩していない。デイヴィッドのような実験を、意図的にすることはできないからだ。

男性脳、女性脳という言い方があるが、これは科学的根拠に基づいているのではなく、多分に比喩的な意味合いだ。性染色体にXとYがあり、XXだと女性の体になり、XYだと男性の体になる。しかし、それは体としての性別であって、脳の性別、心の性別とはイコールにはならない……というのが、現代の人間だ。

その違いなんなのか?
それがこの記事というか、本のテーマになっている。

著者は、それを「脳のソフトウエア」と表現しているのだが、それはちょっと違う気がする。
体や脳がハードウエアで、心がソフトウエアという考え方は、コンピュータを例えにしている発想なのだが、人間は機械ではない。ハードとソフトが分離されたものではなく、おそらく一体になっているのが人間であり生物だ。

脳は意識あるいは心の入れ物ではなく、意識そのものだろう。
脳が損傷したり、認知症で脳が萎縮すると、その人の人格が変わる。脳細胞が失われていくということは、その人の心も失われていくということだ。「魂」というソフトウエアが、脳とは別に存在しているのではなく、脳そのものが魂なんだ。だから、死んでしまえば魂も消える。

男か女かという心の問題は、性器の違いではなく、脳の回路、シナプスの構造に由来しているのではないかと思う。胎児段階から、脳のシナプスは形成されていくわけだが、その形成過程でどういう組み立て方がされるかが、男と女の意識の違いを生むのではないか?

違いの原因は、性ホルモンの作用かもしれないし、シナプスに右巻きか左巻きかの違いがあるのかもしれない。それがわからないのが、現在の性科学だ。

オレが思うに、人間は同性愛がベースなんじゃないかなと。
男同士の親友、女同士の親友という、同性同士の結びつきの強い関係がある。ときに、その親友関係は、異性のパートナーよりも重要なことがある。性的な関係はなくても、同性の親友のことを優先する。
それは、言い方を変えれば「愛している」というのに等しい。

人間は自らに社会的な制約を課してしまうので、同性愛を忌避する傾向にある。その壁がなくなりつつあるのが、昨今のLGBTなのだと思う。

オレ的には、同性だろうか異性だろうか、好きな人は好きだし、信頼できる相手のことは愛しているといえる。
性的な関係にまで踏み込むかどうかは、互いの好みの問題だね。
オレは女性とのセックスは、もちろん好きだけど、男同士で愛しあうのもありだよ(^_^)。