純愛? ポルノ?

『体と心のセックス・ライフ』2003年11月分(Section-17〜20)

投稿日: カテゴリー: 体と心のセックス・ライフ, エッセイ
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体と心のセックス・ライフ
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Section-17 『セックスと若さの関係』

子供から大人になる思春期を第二次成長期といい、女の子は妊娠できる体になり、男の子は射精できるようになる。
つまり、セックスできる体になるということだ。
セックスできるということが、肉体的に大人になったことの表れでもある。異性への興味が高まり、セックスに対する関心がもっとも強くなるのが、10代後半だろう。
性欲旺盛であるということは、“若さ”の象徴でもある。
20代、30代、40代、50代と歳を取るほどに性欲は変化していく。これは男女に関係ない。
「若々しい人」というのは、実年齢よりも若く見える場合をいう。
「精力のある人」というのも、年齢的なものを感じさせない人を指すことが多い。若ければ精力的でも当たり前だからだ。
その“若さ”とは、単純に見た目だけではなく、性的にも若いことを意味している。日頃からセックスをたくさんしている人の方が、若々しくなるのだ。
性欲が旺盛であるということは、若さの条件ともなるのである。

オレは40代になった(^^;)。
世間的には中年だ。自分でそういう意識はあまりないのだが、腹はやや出ているし、ベスト体重を10キロオーバーになっている。20代の頃はスリムだったので、昔と現在を比べれば年相応だろう。
ただ、40代に見られることは少ない。だいたい30代前半くらいに思われているようだ。髪はフサフサだし、もともと童顔っぽいので、昔から同年代でも年下に見られていた。
40代ということは、人生のほぼ真ん中あたりということで、世間の人々の大半がオレよりも年下ということだ。ときどき、オレから見れば明らかに年下だと思われる人が、「この若造が」という態度で接してくることがある。
「あんた、オレより年下だろうに」と心の中で思うのだ。
これは妻の春海も同様で、途中入社の会社で、一回り(10歳)も下の女性社員から、年下扱いされて「春海ちゃん」とちゃん付けで呼ばれているそうだ。しかし、春海よりは年下だけど、その女性よりも年上の人には「さん」付けなのだという。
春海は内心憮然としているのだが、おばさん扱いされるよりはいいと、黙認している。相手が事実に気がつくまで、ほっとくのだそうだ。

若さとは“活力”である。そして活力とは、性欲でもある。
20代の頃に比べたら、たしかにセックスの回数は減っているが、まだまだ性欲は旺盛だ。その実態は「女の気持ち・男の気持ち」で書いている通りである。 さすがに1日数回のセックスを毎日……とはいかない。20代の頃はそれも可能だったが、現在はそこまでの体力がないことも事実だ。それでも週末の2日〜3日間に毎日セックスすることは可能だ。短期集中なら精力も持続できるのだ。
つまり、若さや活力は、持続力でもあるということだ。
持続力には、一度のセックスでの持続時間と、毎日続けるという持続力の両方がある。

【ポイント1】
セックスをどれだけできるかは、自分の若さがどれだけ保てているかのバロメーターともいえる。

短い時間のセックスを1回しただけで終わり、あとは寝る……ということだと、もう若くはない兆候だ。それが男でも女でもだ。
セックスは肉体的にも精神的にも、刺激の多いものである。
性欲は男性なら男性ホルモン、女性なら女性ホルモンによって誘発される。ホルモンの分泌が減ってしまえば、性欲も減退してしまう。それは老化現象の始まりでもあるのだ。
そして、性ホルモンは生殖器から分泌される。性欲の衰えは、生殖器の衰えであり、ペニスやヴァギナの衰えとなる。
体力の衰えを防ぐために、筋力トレーニングをしたりして体を鍛える。これは筋肉を使わないと、新陳代謝が不活発になって老化していくからだ。
またボケ防止のために、もっと頭を使えともいう。これも脳を使わないと、脳細胞が加速度的に死んでいくからだ。
同様に、セックスをしなくなってしまえば、生殖器は衰えていく。体は使われないものは、不要と見なして機能が劣化していくようにできている。それが老化なのだ。最高のコンディションを維持するためには、日頃から使うべきものを使っていなくてはならない。車に例えれば、数ヶ月放置した車が錆びついてしまうのと同じだ。
毎日とはいかないまでも、頻繁にセックスすることは、健康にもいいし、性機能を維持するためにも必要な“刺激”なのである。
この“刺激”が、新陳代謝を活発にし肉体的な健康を維持する。さらに精神的にも充実感となって、活力となり、“若さ”へとつながるのだ。

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Section-18 『3Pはセックス感が変わる』

3Pとは、「Three Person」の略だ。
言葉そのものにセックスの意味はないが、3人でセックスすることから、この略称がある。
3人が男女であれば、組み合わせは二通り。
「女+男+女」か「男+女+男」である。
同性愛もありうるが、本誌では異性とのセックスを前提としているので、ここでは割愛する。
「女+男+女」は男性が主体であり、「男+女+男」は女性が主体となる。
男女が1:1のセックスとは違って、3Pでは主体に対して二人の異性が対象となることから、まったく違ったセックス体験が可能である。
3Pをアブノーマルなセックスと感じる人もいるだろうが、当事者同士が合意の上であれば、他人がとやかくいうものではない。そもそも男女1:1のセックスであっても、セックススタイルは人それぞれなのだ。
独身時代の私の3P(女+男+女)体験がどんなものだったかというと……。

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Section-19 『純愛とポルノの境界線』

純愛? ポルノ?
純愛? ポルノ?

男女の愛を描く作品(小説、漫画、映画、テレビ番組など)で、あるものは「純愛」と呼ばれ、あるものは「ポルノ」と呼ばれる。
その線引きは、じつに曖昧だ。
性表現に対してかなり自由になった時代だが、いまだに性器そのものやセックスシーンを生々しく描写すると、社会は冷ややかな反応をする。それが「純愛」と「ポルノ」とに分けられる要因だ。
セックスは愛情表現としての行為だが、その場面を露骨に見せると猥褻になってしまう。性器を隠したり、表現をぼかすことで、セックスが清いものだと錯覚させるのが「純愛」だともいえる。
しかし、これはセックスの真実を歪曲したものだ。
セックスに猥褻と清純の違いはない。
性器を結合するのがセックスであり、それ以上でもそれ以下でもない。

大ヒット映画「タイタニック」で、レオナルド・ディカプリオ演ずるジャックと、ケイト・ウィンスレット演じるローズが恋に落ちて、船荷として積んであった車の中で愛しあうシーンがあった。
二人は車の中でセックスをしたのだ。ローズはおそらくバージンだったと思われる。彼女は初体験が車の中という、大胆な設定だ。シーンはやや離れた視点から、二人が行為に及んでいることを示唆していた。観客は二人がセックスしているのだろうと、想像するように描かれていた。
これは典型的な「純愛」だ。
しかし、このときジャックはローズの乳房を揉み、股間に手を伸ばして下着を脱がせ、ヴァギナに触れ、彼女にペニスを挿入し、ピストン運動をした。……と、二人の愛の結実を克明に描いたら、「純愛」ではなくなり「ポルノ」になってしまうだろう。
おかしな話である。
セックスするからには、それなりの手順があり、男女が互いに性器を露出させなくてはならない。
当たり前のことなのに、それが見えないようにすると、感動の恋愛物語になる。

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もちろん、肉体関係以外の二人の関係が、純愛ではあるのだが、セックスはセックスである。
俗にポルノといわれるものは、セックスの行為自体に主眼がある。
ストーリー性よりも、いかに刺激的なセックスシーンを描写するかが大きなテーマとなっている。とはいえ、ポルノでも面白い作品とそうでない作品がある。面白い作品とは、セックスシーンもいいし、ストーリー性もいいものだ。

それは「リアリティ」だといえる。

小説や映画は、表現方法こそ違うが、疑似体験による娯楽だ。
登場人物に自分自身を感情移入して、日常では体験できないことを体験する。そこにリアリティがあればあるほど、作品世界にのめり込んで感動や快感を覚える。
セックスシーンでは、いかに興奮するかがポイントだ。
男であればどれだけ勃起できるか、女であればどれだけ濡れるか、ということになる。
リアリティの欠けるポルノは、白けてしまってバカバカしくなってしまう。これでは興ざめだ。
よくある本番もののAVは、実際にセックスしているシーンを撮影しているわけだが、ただそのシーンをだらだらと撮っているだけのことが多くて、白けてしまう。これは家庭用ビデオで、我が子の成長をだらだらと撮ったものを、他人に見せるようなもので、退屈なのだ。
一番の違いは、自分がセックスしているわけではないということ。
他人のセックスを、カメラ視点でだらだらと見ていても、ちっとも面白くないのだ。
画面で見るときには、視覚だけでしか刺激が入ってこない。
実際のセックスでは、相手の息づかいや、触れる感触、体温の温もりなどを感じられるが、映像にはそれがない。映像だけでセックスにリアリティを出すには、見るものを興奮させるテクニックが必要だ。
それが映像作家の手腕になる。

日本映画の「失楽園」は、はっきりいってポルノだ。
世間の評価はポルノとはいわないが、愛しあう男女であれば、あれくらいが当たり前だろう。役者がポルノ俳優ではないことが、ポルノといわれない理由だが、描写はポルノとして質の高いものだった。
誰だって、情熱的な恋やセックスをするときは、情欲に溺れて淫乱になる。裸になればどん欲に相手を求めるのが、愛だからだ。
それはオレたち夫婦でも同じだ。
その一端は本誌にも書いているし、「女の気持ち・男の気持ち」にも書いている。セックスするときに、純愛もポルノも関係ないのだ。あるのはセックスの快感だけだ。
その快感を盛り上げるために、「」がある。

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Section-20『:涼子の長い夜(Part-1)』

初体験したいといってきた涼子。
彼女はその相手として、オレを選んだ。
春海が誘ったとはいえ、涼子と会うのは三度目だった。
そして、オレに会うために来た日――。
涼子はオレに裸身をゆだねた……
愛撫の始まりだった。
そして、二週間後。
避妊ピルを呑み始めて準備の整った涼子は、初体験の夜を迎える……。

「これから向かいます」
涼子は電話でいった。声が弾んでいた。
土曜日の12時ちょっと前くらいのことだ。涼子は午後1時頃、来る予定になっていた。
オレは笑みを浮かべて答える。
「うん、じゃ、乗換駅からもう一回電話くれる? そしたら着く頃に駅まで迎えに行くから」
「はい。じゃ、またあとで」
彼女が電話を切り、受話器を置いた。
「涼子はこれから出るってよ」
オレは春海に向かっていった。
春海はまだパジャマ姿だ。起きたばかりで、まだ眠そうな顔をしている。
「ふにゃ。着替えるわ」
春海はのろのろと立ち上がって、洗面所に向かった。
オレも着替えることにした。着替えるといっても、ジーンズをはくだけだ。上はパジャマ代わりのトレーナーを着ていた。近くの駅に行くくらいであれば、ラフな格好でいい。
春海は顔を洗い、化粧をし、髪をとかし、ブラをつけ、着るものを選びと時間がかかる。ちょっと外出するだけでも、身支度に30分はかかる。女は近所に出るのにも、やたらと気を使うのだ。

涼子からの二度目の電話がかかってきた頃に、春海の着替えが終わった。
乗換駅からオレたちのマンションの最寄り駅まで、15分くらいだ。
時間を見計らって、春海と一緒に駅に向かった。改札口で待っていると、高架線の上を電車が数本発着した。その度に降りてきた乗客が、改札口を通っていく。駅は高架化にともなって新しくなったのだが、まだ完成していないため、出口は一つだ。
流れてくる人波の中に涼子の姿を捜す。
3本目が走り去ったあとに、涼子の姿が目に入った。彼女は大きなバッグを提げて、小走りしてくる。顔は笑みでほころんでいた。
オレの顔も自然とほころぶ。
涼子は裾が広がるフレアスカートに、明るいベージュのセーター、そして白のフード付きダウンジャケットを着ていた。ジャケットの前はフリーになっているので、体に密着するセーターが、彼女の胸の膨らみを強調していてセクシーだ。意図したわけではないだろうが、黒っぽい服装が多い中で、彼女は明るく目立っていた。涼子にはバージンホワイトが似合うと思った。
「待った? 一本電車逃しちゃった」
「たいして待ってないよ。大きな荷物だね」オレはバッグを指さしていった。
「念のため着替えをいろいろ詰めたら、多くなったの」
「涼子ちゃん、その服、
オレも思っていたことを春海がいった。
「うん。オレ、フレアスカートが好きなんだ」
「なんで好きかというとね、昔の恋人が、よく着てたからなんだよ」
「こらっ、そういうことを、こんなところでいうなよ」
それは本当だ。奈緒子の思い出が、涼子の姿にだぶる。
「昼飯はまだだよね? 食べに行こうか?」オレは話題を変えた。
「ええ、まだです」
「なにが食べたい?」
「わたしはラーメンでいいな」と春海。
「わたしもそれでいいです」
「よし。じゃ、そのバッグをオレが家に置いてきてやるよ。春海、涼子とラーメン屋に行ってな。オレはいつものでいいから、注文しといて」
オレは涼子のバッグを自宅に持っていき、それからラーメン屋に向かった。自宅は駅から近く、数分しかかからない。オレがラーメン屋に入って、二人が座っている向かいの席に着いた頃に、注文したものが運ばれてきた。
比較的最近オープンしたラーメン屋は、オレと春海のお気に入りだった。ちょくちょく食べに来るのだ。
美味しい豚骨ラーメンを食べたあと、商店街の通りをぶらぶらと三人で歩く。オレが先頭に立ち、そのすぐ後ろに二人が並んで歩いた。春海と涼子は、ずっとおしゃべりばかりしていた。オレは本屋に寄り道すると、新刊を物色して二冊を購入した。

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